大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡高等裁判所 昭和50年(行コ)12号 判決 1976年8月04日

八代市若草町一四番六号

控訴人

水野登

右訴訟代理人弁護士

藪下晴治

同市花園町一六番地の二

被控訴人

八代税務署長 井之原正典

右指定代理人

渡嘉敷唯正

中島清治

中野昌治

三島毅

田川修

村上久夫

西山俊三

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人は「原判決を取消す。被控訴人が昭和四四年一一月七日付でなした、控訴人の昭和三九年度、同四〇年度、同四一年度分の各所得税についての各再正処分及び重加算税賦課処分のうち、昭和三九年度分の課税総所得金額一三三万〇、〇九〇円、所得税額二六万二、〇〇〇円を超える部分、同四〇年度分の課税総所得金額三〇三万六、一九五円、所得税額八六万二、四〇〇円を超える部分、同四一年度分の課税総所得金額三八五万九、八五二円、所得税額一一三万一、一七〇円を超える部分及び右各年度の重加算税賦課処分はいずれも取消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の主張並びに証拠関係は、控訴人が当審における証人上野桂三の証言を援用したほかは原判決の事実摘示と同一であるから、これを引用する。

理由

一、請求原因1、2の事実及び被控訴人主張1の事実のうち昭和三九年度ないし同四一年度において、控訴人に、被控訴人主張の如き不動産所得、旅館営業による営業所得及び給与所得があったこと、控訴人の金融業による事業所得のうち、堀端アツ子からの昭和四〇年分及び同四一年分、水本商会からの同三九年分ないし同四一年分、木崎製材所からの同四〇年分の各利息収入を除くその余の各利息所得のあったこと及び各年度の必要経費が被控訴人主張のとおりであること、並びに控訴人が金融業にかかる帳簿書類を全く備付けていなかったことは当事者間に争いがない。

二、しかして、原審における証人宮永元義の証言(第一回)によると、右の如く控訴人には金融業にかかる帳簿審類の備付けが全くなかったので、被控訴人には控訴人の貸付先を個別的に調査して、控訴人の各貸付先への貸付金額及び利息支払の状況を確認した上で、控訴人の利息収入額を算出したものであることが認められるところ、以下争のある前記堀端アツ子ら三件の利息収入の点につき、被控訴人がなした所得の認定が過大な認定であって違法なものであるか否かにつき判断する。

1. 堀端アツ子からの昭和四〇年、同四一年分の利息収入について

(一)  成立に争いのない乙第三、第三号証、原審における証人宮永元義(第一回)、同堀端アツ子(後記措信しない部分を除く)各証言及び同証言により真正に成立したと認められる乙第一号証を総合すると、堀端アツ子は、昭和三八年七月頃、訴外海藤孫次が経営していた有限会社観光喫茶「粋扇」の営業譲渡を受けてその代表取締役となり、その経営に当ることになったが、前経営者の海藤が控訴人からその営業資金を借入れていたのを引継ぎ、右堀端もその必要に応じ、控訴人からその経営資金を借入れるようになったこと、そして、その借入れの態様としては、形式上前記粋扇名義で直接に控訴人から借入れたものと、右堀端アツ子が、控訴人から借入れて、これを更に粋扇に貸付けるという形式をとった二つの態様がとられていたこと、したがって、右粋扇の総勘定元帳には、直接「水野からの借入れ」と記載されているものと、「堀端アツ子からの借入れ」と記載されたものとの二つの記載方法がとられていたが、それらはいずれも実質的には、控訴人からの借入れ金であったと認められること、そして、右借入金の返済についても、右二つの借入れの態様に対応した記載の方法がとられ、「水野への返済」あるいは「堀端アツ子への返済」として記帳がなされていたこと、右控訴人の貸付金に対する利息は昭和四〇年一月以降において月六分の約定であり、右堀端は、控訴人に対し毎月右約定の利息を支払って来ていたこと、なお、右総勘定元帳のうち、昭和四〇年六月三〇日に「堀端アツ子分仮払金外と相殺」一八七万七五〇二円、同四一年六月三〇日に「堀端分材料仕入れに修正」一九五万円と記載されている分は、いずれも、堀端アツ子からの借入れ名義による控訴人からの借入金が帳簿上過大となることは営業政策上好しくないと考え、期末において、その借入金を表面上落すためになされた単なる帳簿上の操作に過ぎず、実際には、それは控訴人に対し返済されたものではなく、これらの分は、いずれも、以下に述べる同四四年六月末頃、堀端アツ子が訴外八代信用組合から融資を受けた借入れ金でもって完済されるまで、借入れ金残として残存していたことが認められる。すなわち、成立に争いのない乙第八号証の一、原審における証人宮永元義(第一、二回)、同岩崎氾の各証言、右宮永の証言(第二回)により原本の存在並びにその真正に成立したと認められる乙第八号証の二、三を総合すると、堀端アツ子は昭和四四年六月二五日頃、訴外八代信用組合から五〇〇万円の融資を受け、同組合から利息を差引いた四八〇万円の交付を受けたが、その頃、同金員をもって、控訴人からの借入れ金の残元金全部の返済に充て、控訴人に対する債務を完済したことが認められる。

(二)  以上の認定に反する証人堀端アツ子の証言並びに原審における控訴人本人尋問の結果はいずれも措信できず、甲第二一号証の一ないし八の記載も、前記認定に照し右認定を覆す証拠とするに足らず他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。なお、控訴人は、堀端が右八代信用組合から融資を受けた五〇〇万円は、粋扇の店舗改造資金として使用されたものであると主張し、前記堀端アツ子の証言中にもその主張にそう部分があるけれども、原審における証人竹内良治の証言によると、粋扇の店舗改造工事がなされたのは、昭和四五年二月頃の契約で、その工事が完工したのが同年五月頃のことで、前記借入れより約一年位後のことであり、その必要資金については、その頃、別途に八代信用組合から融資を受けていることが認められるので、この点に関する前記堀端アツ子の証言は措信できない。

また、被控訴人が昭和四二年六月二七日、前記粋扇の昭和四〇年度分の法人税に関し、堀端からの借入金のうち一四〇万円を収入金除外と認定して、粋扇の法人税の増額更正決定をしたことは当事者間に争いのないところであるが、成立に争いのない甲第二〇号証の一及び前記証人宮永元義の証言(第一回)によると、右処分は、当時、被控訴人において、右堀端名義の借入金の出所につき疑問を抱き、その調査をしたが、右堀端において、右は第三者から借入れてこれを粋扇に貸付けたものであるとしながら、その資金の出所を明確にしなかったため、右資金の出所不明確を理由としてなされた措置に過ぎないことが認められる。したがって、右処分は、それが控訴人からの借入金でないことまで被控訴人が認めたものではないことが明らかであるから、そのことをもって前記認定を左右する資料とすることはできない。

(三)  そこで、前記認定の事実並びに前掲の乙第一号証の記載を総合して、昭和四〇年及び同四一年における右堀端の控訴人からの借入れ、その返済並びにその支払利息の額を、その充当関係が明記されているものはそれに従い、その明記されていないものについては、借入れの古いものから順次弁済充当がなされたものと考えるのが相当であるからそれに従い、また、原審における控訴人本人尋問の結果によると、貸付けた月及び返済がなされた月も各々一か月として利息の計算がなされていることが明らかであるので、その計算に従い算定すると、原判決添付の別表(六)記載のとおりとなることが認められる。そうすると、堀端から控訴人に支払われた利息額は、昭和四〇年分が合計一六九万七、二〇〇円、同四一年分が合計一八六万三、〇〇〇円となって、被控訴人主張のとおりとなることが認められる。

2. 水本商会からの昭和三九年ないし同四一年分の利息収入について

(一)  成立に争いのない甲第一〇号証の一(但し後記措信しない部分は除く)、同第一二ないし第一四号証、乙第四号証、同第六、第七号証、原審における証人藤田英雄の証言を総合すると、合資会社水本商会は、形式上は水本澄夫がその業務の執行者であったけれども、事実上はその妻であった水本英子が、その経営の実際を担当していたところ、同人はその経営資金として、銀行等の金融機関だけからでなく、昭和三六年頃から控訴人から金融業者から金を借りるようになり、そして控訴人からの金銭の借入れは、昭和三八年頃、従前水本商会が訴外木下藤吉から借用していた五〇万円を、控訴人が右木下から債権譲渡を受けてその債権者となったことから急に深まり、短期間の資金の借入れ、弁済等が反覆されるようになったこと、そして、昭和三九年中には借入金の残が七〇〇万円になり、以後漸増し、同四一年中にはその借入金の元金が一時一、〇〇〇万円にも達し、その後の弁済により、同年末にはその残が八〇〇万円になったこと、また、右借入金の利息は、前記控訴人が訴外木下から譲受けた五〇万円については、日歩三〇銭の約定であり、その余の借入金の利息はいずれも日歩二〇銭の約定であったところ、水本英子は右約定の利息を、昭和四一年中までは、他所から借入れたり、水本商会の約束手形並びに訴外肥後農林株式会社名義の約束手形を割引いて貰い、その割引金をもって支払う等して現実に支払って来ていたこと、そして水本商会の控訴人に対する支払利息の合計額は、昭和三九年において約五〇〇万円、同四〇年において約八〇〇万円、同四一年において約一、〇〇〇万円位に達していたこと、また控訴人が訴外木下から譲渡を受けた五〇万円の貸金については、昭和三九年六月以降水本英子の夫である水本澄夫がその高利の借金に気付いて、これを弁済したこと、水本英子は、前記の如く控訴人に対する多額の利息の支払のため、他所から金銭を借入れていたが、その借入金の返済のため更に控訴人から借入れをするといった悪循環を生ずるに至り、ついにはその金利の支払に行き詰り、その結果、訴外肥後農林株式会社の手形を偽造して使用するまでに至ったことが認められた。

もっとも、控訴人は、水本商会に対する貸付金については、利息を全く受取つておらず、利息を元金に組入れて切替えていったため、貸付額が名目上増大したもので、実際の貸付金は四六〇万円を超えることはない旨主張し、原審における控訴人尋問の結果中には控訴人の右主張にそう部分があるけれでも、昭和四二年以降のものについてはともかく、それ以前のものに関する部分については前掲各証拠に照し措信し難く、また成立に争いのない甲第一〇号証の一のうち、前記認定に反する部分は措信できず、他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。

(二)  そして、原審における証人藤田英雄の証言及び弁論の全趣旨を総合すると、控訴人は勿論、水本商会にも右貸借金の内容を明確にする帳簿書類がなかったので、被控訴人は、前記認定の諸事実を基礎にして、前記木下から控訴人の利益に考え、昭和三九年五月末に返済されたものとし、同年末に残っていた前記七〇〇万円の貸付金残については、中途の借入れ、弁済により若干の増減が考えられるとしても、前記の如く同年中における日歩二〇銭の支払利息額が約五五〇〇万円にも達していたことから考えて、その年央の同年六月一日頃には、その借入金の額が右七〇〇万円に達し、それが以後漸増の傾向にあったことと、支払利息が同四〇年には約八〇〇万円、同四一年には約一、〇〇〇万円にもなっていたことなどから考えて、右七〇〇万円の借入金残は増加しても減少はないものとし、同四二年に至るまで継続されていたものと認定し更に前記の如く昭和四一年末には控訴人からの借入金残が八〇〇万円ありかつ、同年中には一時借入金の総額が一、〇〇〇万円にも達し、その支払利息が、同年中には約一、〇〇〇万円にもなっていたことなどから、前記七〇〇万円のほかに同四一年一月一日から借入金が少くとも一〇〇万円増加したものと認定したうえ、成立に争いのない乙第一二号証及び原審における証人片山弘の証言(第一回)により認められる訴外たまる商事有限会社の水本商会に対する利息収入の申告分をも考慮を加えて、原判決添付の別表(五)の通り、控訴人の水本商会に関する利息収入額を算定したことが認められる。

しかして、控訴人の右算定は、控訴人及び水本商会にも、その算定の基礎となる帳簿書類の備付が全くない本件において、前記認定の諸事実を基礎として考えるとき、その算定が不合理ということはできず、むしろ控訴人に有利に計算されたものと認められ、控訴人の収入を過大に認定したものということはできない。

3. 木崎製材所からの昭和四〇年分の利息収入について

この点についての当裁判所の判断は、原判決理由五の説示と同一であるからこれを引用する。但し、原判決一六枚目表四行目の一六五万円の次に「 利息月八分三厘」を加える。

三、以上のとおりであるので、被控訴人がなした控訴人の前記堀端アツ子からの昭和四〇年及び同四一年分、水本商会からの同三九年ないし同四一年分、木崎製材所からの同四〇年分の各利息収入の算出認定には、違法は認められない。そして、以上認定の事実並び前記の当事者間に争いのない事実を基礎にして算定すると、控訴人の昭和三九年ないし同四一年分の総所得金額、課税総所得金額、所得税額等は被控訴人主張のとおりとなることが明らかである。

そうすると、被控訴人がなした本件再更正処分(但し昭和四六年四月三〇日付の審査裁決によって取消された部分は除く)は適法であって、控訴人主張の如き違法はない。

四、重加算税の賦課決定処分について

当裁判所も、被控訴人がなした本件重加算税の賦課決定処分は適法であって、控訴人主張の如き適法はないものと判断するものであるが、その理由は原判決一六枚目裏七行目以下一七枚目表九行目末までの理由説示と同一であるから、これを引用する。

五、してみると、控訴人の本訴請求はいずれも理由がなく、これを棄却した原判決は正当であって、控訴人の本件控訴は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 亀川清 裁判官 原政俊 裁判官 川井重男)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例